hiroki1223’s diary

ヒロキ 世界を変えたい そんなブログ

ハーフ

 

最近よくハーフと言う言葉を見かけるようになった

お好み焼き屋や

タレント

成人してないにも関わらずハーフ成人式

ハーフバースデイ

ハーフナーマイク

僕はと言うと、そう人生の折返しが来ている

ハーフ葬儀なんかももしかしたら出来るかもしれない

もし出来れば、ハーフ葬儀は凄く良いイベントなんじゃないかと思う

人はいなくなってはじめてその存在の大きさに気づく

それが生きている時に気づけるのであれば

伝える事ができるのであれば

最高なんじゃないか

そして

これまで誰も経験したことのない

2度目の人生を生きる事ができる

朝型人間夜型人間

自分が夜型か朝型か

僕は

四十肩である

これをオヤジギャグと言うが
なんでオヤジはオヤジギャグを言うのか

オヤジギャグとは、主に中高年層の男性が頻繁に使う、駄洒落や地口の要素をふんだんに含んだ安直なギャグのことである
ウィキペディアに載っている
受け手である若者との価値観の違いからオヤジギャグはつまらないとも書いてある

僕はちょっと違うかなと思っていて
オヤジ自体はオヤジギャグがくだらないい事をちゃんと理解していて、どういう反応が帰ってくるかわかった上で言っている 
そう考えるのだ

だとするとなんで言うのか、という問いが生まれるが

その答えは
日常に飽きたから
だと考える
そして
ちょっとした変化球を投げたくなるという大人の余裕と
相手が想定している単純な「笑い」
その想定を超える
「くだらない」という反応が
大きな快感だと感じている

これであってますか?

新人類の未来予測

新人類の未来予測

SNSが当たり前な世の中になり
人々はキラキラした日常や
謎の副業自慢
僕の様な意味不明な書込など
サルが火を手にしたように
人々はSNSを手にした
SNSが世界の分断を加速させたなどの
難しい議論があるが
僕の関心事は
SNS子供の写真何歳までアップする問題だ」
SNSへ子供の成長記録をアップする人々は
果たして子供が何歳になるまでアップするのだろうか
これは、今までに無かったツールを人類がこれからどう使っていくかの
新人類の進化の過程である
まさに未知なのだ
そこで僕は予言する
10年後にこの
SNS子供の写真何歳までアップする問題」が社会的な話題となり
新人類は子供が40歳になっても50歳になっても子供の写真をアップし続ける
そんな未来が見える

孤独死

空想の産物

小さい頃「大人は〜だから」とか
「自分はまだ子供だから」とか
大人と子供を区別し考えていた
自分の中に明確な定義があったわけではなく
大人とはこういうものと言うふわっとしたものだった
世の中的にも「大人の階段登る」とか歌の歌詞に使われたり
得体のしれない大人が明確に世の中に存在した
おそらく今自分はその得体のしれない大人になっている
けれども自分は30年前と、何も変わっていないのだ
大人って何なのだ
自分はまだ大人じゃない
大人はただの空想の産物なのだ
そんな事を考えていた矢先
じゃあ孤独死って何なのか、とふと頭に浮かんだ
孤独死は嫌だ」との声をよく聞く
しかし、これが自分は全く理解できない
客観的見てに孤独死だったというのは
その出来事がった後に初めて孤独死かどうだったか判断できる
だとすると死んだあとに死んだ人が
「あー自分は孤独死だった嫌だったなあ」
と判断することになる
孤独死とは孤独死していない人が勝手に思い描いているありもしない不安なんじゃないか
まさに空想の産物なんじゃないか

そんな事を思う土曜の朝