hiroki1223’s diary

ヒロキ 世界を変えたい そんなブログ

孤独死

空想の産物

小さい頃「大人は〜だから」とか
「自分はまだ子供だから」とか
大人と子供を区別し考えていた
自分の中に明確な定義があったわけではなく
大人とはこういうものと言うふわっとしたものだった
世の中的にも「大人の階段登る」とか歌の歌詞に使われたり
得体のしれない大人が明確に世の中に存在した
おそらく今自分はその得体のしれない大人になっている
けれども自分は30年前と、何も変わっていないのだ
大人って何なのだ
自分はまだ大人じゃない
大人はただの空想の産物なのだ
そんな事を考えていた矢先
じゃあ孤独死って何なのか、とふと頭に浮かんだ
孤独死は嫌だ」との声をよく聞く
しかし、これが自分は全く理解できない
客観的見てに孤独死だったというのは
その出来事がった後に初めて孤独死かどうだったか判断できる
だとすると死んだあとに死んだ人が
「あー自分は孤独死だった嫌だったなあ」
と判断することになる
孤独死とは孤独死していない人が勝手に思い描いているありもしない不安なんじゃないか
まさに空想の産物なんじゃないか

そんな事を思う土曜の朝