激動の時代
とか
先の見えない時代
とか
最近やたらと耳にする
果たしてそれは本当か
大政奉還や
第一次、二次世界大戦
そっちのほうがよっぽど激動の時代なんじゃないか
そんな事を思ったりしている
実は
いつも激動で先は見えない
まあそりゃそうだ
未来の事は誰にもわからない
僕もいくつか予言をしたことがあるけど
当たったことがない
自分が大切にしている事や
拘り
そういったものが、ある瞬間に
全く意味を持たなくなる
全く意味を感じなくなる
なんの為に拘っていたのか
わからなくなる
バカらしくなる
この3連休で映画を10本見た
そう後輩が話をしてきた
その中で
まともじゃないのは君も一緒の主人公が
僕にそっくりだと
そういうのだ
気になるから見てみた
ほう
ほほう
自分ってこんなに面倒くさい人間なのか
そう思った
一方で
確かに話の聞き方や考え方が少し似ている
そんなふうにも思った
自分を客観視しているようで
してないんだと
気づきました
しかし格好良い成田凌を期待していたけど
ちゃうやん
従来ビジネスに求められていたことは
「正解」であった
正解を出すことに価値があったのだ
しかしここ最近では解にいたるまでのプロセスに価値がある
或いは価値を見出しているケースをよく見かける
競争戦略上それが強力な差別化となるからだ
一方で人生はどうか
人生のゴール「結果」は皆決まっている
死、である
故に人生の価値は生きる過程プロセスの中でしか生まれない
従来型のビジネスが人生化していると考えるのはこの為だ
僕の予想ではこの傾向はこれからも続いていく
今の所この2つの大きな違いは
誰が価値を判断するかである
ここもこれから先寄っていき
自己の価値と他者の価値が一致する
そういう社会が来るんじゃないかと考える
snsを開くと
そこには幸せに満ち足りた世界が広がっている
自分こそが
幸せのトップオブトップだと
主張し合っている
どういう心理なのかよくわからないが
見る側の事は考えていない様にも感じる
一方でリアルな世界では逆に
不幸自慢がはびこっている
同じ人でも然り
一体
君は幸せなのか不幸せなのか
よくわからない
何がしたいのかも
わからない
人間は非合理的な生き物だ